東海道五十三次は何日で歩けたのか?

東海道五十三次は何日で歩けたのか?

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江戸時代には、街道や旅の施設整備が進んでいました。その代表は、東海道、中山道と日光、奥州、甲州街道の五街道。中でも江戸と京都を結ぶ東海道は、最も往来のはげしい街道となりました。

東海道五十三次は、京の都三条大橋から、お江戸日本橋まで、距離にして約5百キロあったが、その所要時間はどの位だったのだろうか?

当時の旅の難所はなんといっても川でした。これは、橋のかかっていない川が多かった為で、人足に担がれて行く大井川、渡し船で行く天竜川は、難所として歌や絵にも残されています。

しかも、いったん大雨が降ると、増水で川止めにもなりました。天候に恵まれ、川止めもなかったとして、東海道を健脚な人で13日間、普通では15日間はかかりました。

東京二十三区で最高峰の山はどこ?

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東京都新宿区戸山町にある戸山公園に、箱根山と名付けれれた山があります。山といっても、標高はわずか44.6メートルしかありません。しかし、それでも東京二十三区内の最高峰の山だそうです。

箱根山といって連想するのは神奈川県と静岡県の県境にそびえる「天下の險」とうたわれた箱根山でしょう。こちらは標高1438メートルだから、戸山公園にある箱根山とはケタが違います。それではなぜ、戸山公園に箱根山と同じ名前の山があるのでしょうか?

寛文の頃、尾張藩主徳川光友が大規模な庭園をここに造園しました。その広さはなんと13万6千坪です。その時に人工的に作られたのが、この箱根山だったのです。

草木も眠る丑三つ時って何?

江戸時代の時間は、夜明けと夕暮れが基準になっていました。そして、昼と夜をそれぞれ6等分ずつに区切ったものを「一つ」といっていました。つまり、昼の一つと夜の一つが、季節によって異なっていました。

時間の呼び方も、日の出と日の入りが基準になっています。日の出の時間を「明け六つ」といい、日の入りの時間を「暮れ六つ」と呼んでいました。

時の数え方は複雑で、明け六つから始まって五つ、四つと数字が少なくなっていきます。しかし次は三つではなく、九つなのです。そして、八つ、七つとなって、暮れ六つを迎えます。

時間は数字以外、干支の名でも呼ばれました。現在の時間に換算すると、およそ次の通りになります。

  • 子=午後11時~午前1時
  • 丑=午前1時 ~午前3時
  • 寅=午前3時 ~午前5時
  • 卯=午前5時 ~午前7時
  • 辰=午前7時 ~午前9時
  • 巳=午前9時 ~午前11時
  • 午=午前11時~午後1時
  • 未=午後1時 ~午後3時
  • 申=午後3時 ~午後5時
  • 酉=午後5時 ~午後7時
  • 戌=午後7時 ~午後9時
  • 亥=午後9時 ~午後11時

ところで、丑三つ時だが、丑の時を四つに割り、その三番目にあたる時間の事を指しています。つまり、今の時刻の午前2時~2時半というわけです。

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