パラリンピックの始まりは?

パラリンピックの始まりは?

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パラリンピックとは身体障害者のスポーツの祭典で、正式には「国際身体障害者スポーツ大会」といいます。

1948年、イギリスのストーク・マンデビル病院で、第二次世界大戦で脊髄を損傷した負傷兵達のメンタルケアの為にスポーツ大会が開かれました。この大会の事がヨーロッパ中に報道され、その4年後の1952年にはオランダからも選手が参加し、初の障害者スポーツの国際大会となりました。これがパラリンピックのルーツといわれています。

1964年には東京で開催され、この時に初めてパラリンピックという言葉が使われました。パラリンピックとはパラプレジック(下半身麻痺)という言葉とオリンピックの合成語で、私たち日本人が最も得意とする和製英語だったのです。現在ではその言葉は世界中に認知されています。

1976年に開催されたトロント大会では、初めて脊髄損傷者以外の障害者選手の参加が認められ、障害者全体のスポーツ大会となりました。

なお、1988年からはオリンピック夏季大会の会場を利用して実施されることになり、冬の大会も冬季五輪大会直後に、同じ会場を使って行われる様になりました。

力士の名前をなぜ「しこ名」と呼ぶのだろうか?

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武蔵丸、貴乃花、千代大海と力士には本名とは別の、いわばリングネームが付けられています。これをしこ名といいます。しこ名は「四股名」と書きます。これはいうまでもなく、力士が土俵で四股を踏むからなのだが、実はしこ名の事を「醜名」とも書きます。本来は、こちらの漢字が当てられていたと考えられていて、「四股名」は後世になってからの当て字と考えられています。

「醜」という漢字はあまりいい意味で使われる事はありません。なぜ、日本の国技である相撲を闘う力士の名前を表す言葉に、そのような漢字を使うのだろうか?実は「醜」という文字には「強くて丈夫な」という意味があるからです。

今からおよそ5百年前の戦国時代。豊後の国(現在の大分県周辺)を支配していた大友宗麟が相撲大会を催しました。力士に扮して大会に出場した戦国武将たちは、自分で付けた醜名を名乗っていました。これが文献に登場する最初の醜名です。

大相撲の土俵の「東西」は実際の方角の位置にあるのか?

日本人はとかく判官びいきです。小柄な力士が大きな力士を負かすのを見るとスカッとしますよね。

相撲は神意を占う目的で始められ、豊作を祈る行事として定着しました。相撲が行われる土俵は、北を正面、北に向かって右手を東、左手を西、南を向こう正面としています。北を正面と呼ぶのは、北が王座であるとされた故事に基づくものです。しかし現在の東京の新国技館の土俵は、北が北北西にずれています。相撲が屋内競技となった為、道路や建物との関係で、正確な位置に土俵が作れなかったのです。娯楽性が強い現在の相撲ですが、奉納相撲などの行事も残っており、国技としての伝統が受け継がれています。

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