日本初のレンタカーはいくらだったの?

日本初のレンタカーはいくらだったの?

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車は欲しいが、大都市近郊では駐車場代もかかるから、必要な時だけ借りられるレンタカーで済ませている、という人も多いです。

ところで、日本にレンタカーが初めて登場したのは1912年のことです。当時の普通乗用車の値段は4千円前後、これは現在の価値にしておよそ2千万円で、ロールスロイス並の値段だから、とても大衆が買える値段ではありませんでした。

当時貸し出されたのは、40馬力エンジンを搭載した5人乗りの乗用車で、レンタル料は1日30円(現在なら15万円)それでも大人気で、注文殺到だった為に、後に1時間5円(2万5千円)に値上げしたといいます。

ちなみに当時のレンタカーは、車だけを貸してくれるのではなく、運転手付きでした。つまり、現在のタクシーと同じ仕組みだったそうです。

ところで、現在のレンタカーはナンバープレートに「わ」と記されています。しかし、北海道のナンバーだけは、この文字が「れ」となっています。

能舞台の背景はなぜ松なのだろうか?

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まったく装飾のない能舞台にあって、ひときわ目につくのが舞台奥の鏡板に描かれた松の絵です。なぜ松の絵なのかには、いくつかの説がありますが、最も有力とされているのは、昔、春日神社の松の下で能が演じられた名残というものです。

昔から日本では、大木には神が宿ると信じられてきました。その大木の下に能舞台を設け、神に守ってもらおうとしたのです。

松の木が選ばれた理由としては、毛虫がつきにくい点と、一年中葉が付いている為ののようです。演技している最中に毛虫が頭の上に落ちてきたり、枯葉で舞台が埋まってしまっては縁起ができません。

昔は松の描写は狩野派に則った老松で、三段に枝分かれし、枝の本数は上から順に七本、五本、三本と定められていました。

しかし、現在ではこの描写を守る画家は少なくなってきています。例えば、昭和58年にできた国立能楽堂の鏡板に描かれたのも老松ではなく、相生の松(黒松と赤松とが一つの根から生えている松の事。二本の松を夫婦になぞらえ、長生きの象徴ともいわれる)でした。

なぜ将棋の駒の「歩」の裏が「と」なのだろう?

敵陣地内に入り込んだ駒は「成り駒」になって威力が倍増する将棋ですが、おかしなことに、歩は裏返しても「と」としか書かれていない。成った後の呼び方も「と金」のままです。これはいったいなぜなのでしょうか?

種明かしはとても簡単です。あの「と」に見える文字は、実は「金」という字を崩した文字なのです。

昔は歩の裏にもしっかり金と書かれていました。しかし、歩の数はあまりにも多いため、一個一個丁寧に金と書いているのは面倒だと、崩し文字になったという訳です。

ちなみに、「銀」や「桂馬」や「香車」が成った時も「金」になるが、肝心の金だけは成る事ができない。これは、そもそも金の動きが成り駒専用だからだともいわれています。金の動きをする駒は、将棋が生まれた時にはなかったようです。

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