小学校に二宮金次郎像が置かれていた理由とは?

小学校に二宮金次郎像が置かれていた理由とは?

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二宮金次郎(尊徳)は、江戸時代末期に農民の子として生まれ、14歳で父を、16歳で母を亡くし、伯父の家で貧しい少年時代を過ごしていました。

勉強が好きだったが、伯父は「本を読む時間があるくらいならその分働け!」と、勉強をさせてくれませんでした。しかし、金次郎はあきらめることなく、農耕をしながら「論語」「大学」「中庸」を独自に学び、若くして家の再興に成功しました。

また自らの経験を活かし、小田原、烏山、下館、相馬藩などのおよそ6百村を復興する事に成功しました。そうした功績によって、従4位を贈られるまでになりました。

この勤勉さが小学校の教育にふさわしいと考えられたのと、世界大戦前夜に「金次郎の勤勉、倹約をクローズアップする事によって、国家総動員態勢がスムーズに行える」と国が思ったところに、銅像建立の理由があったようです。

また、明治43年、薪を背負っている二宮金次郎の銅像をご覧になった明治天皇が、大変気に入られたのがきっかけで、全国の小学校に建立されたという話もあります。

東京の最後にできた区はどこなのか?

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東京が現在の二十三区になるまでには、様々な歴史がありました。

まず、東京が最初に区分けされたのは明治11年の事です。当時の東京都が、十五区と6郡に分割されました。当時はまだ江戸の名残があったため、区名も深川区、浅草区などというものでした。

十年後の明治21年、東京府とは別に東京市が誕生し、十五区が生まれました。この十五区制は昭和に入るまで続きました。

昭和7年、東京圏が拡大した為、東京市はなんと七倍近くにまで面積を拡大し、三十五区となりました。その時に追加されたのが江戸川区、葛飾区、板橋区、世田谷区、目黒区などです。

昭和18年に区別が曖昧だった東京市と東京府を一元化し、東京都と改名しました。三十五区ではあまりにも多すぎるという事で、二十二区に再分割されました。

この時に名前がなかったのが練馬区。実は、現在の練馬区は板橋区の一部でした。しかし、板橋区の面積があまりにも広すぎるという事で、昭和22年に分離して、練馬区が誕生したという訳です。

お金の五円玉、五十円玉にはどうして穴があるの?

日本の硬貨は、五円玉や五十円玉には穴があいている事もあって、来日した外国人も比較的簡単に覚えられるようです。でも、実は穴のあいた硬貨は、世界でも珍しい存在なのです。

日本の硬貨の歴史を遡ると、かつても穴のあいたものはありました。だが、現在の五円玉や五十円玉が穴あきになったのには、それなりの理由がありました。

穴あき五円玉が鋳造されたのは、第二次大戦が終わって間もない1949年の事です。目の不自由な人でもわかり易いデザインにするという理由もあったが、とりわけ材料費節約の為という理由が大きかったようです。

当時の日本がどれほど貧窮していたかが分かるエピソードです。後に五十円玉もわかり易い様に穴あきで鋳造され、現在に至っています。

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