東照宮が全国各地にあるのはなぜ?「太平記」命名の由来とは?

「太平記」命名の由来とは?

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「太平記」とは、14世紀後半に書かれたとされる軍記物語です。後醍醐天皇と足利尊氏との抗争の模様が詳しく描かれている大作です。

この時代は日本が南北朝に割れ、戦乱につぐ戦乱で、混沌とした時代でした。

つまり、「戦乱記」と呼んでもいいほどの時代でした。しかし、それを描いた物語が、なぜ、世の中が静かに治まる「太平記」というタイトルになったのだろうか?

この不思議を最初に指摘したのは、国文学者の萩野由之氏でした。大正元年の事だから、既に百年近くも経っています。しかし、その謎は、実はいまだに解き明かされていません。

有力な説は、70年あまりも続いた戦乱の世を憂い、「太平の世」が来るようにという願いを込めて、逆説的な「太平記」という名前を付けたのではないかというものです。

東照宮が全国各地にあるのはなぜ?

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東照宮といえば日光東照宮。一日見ていても飽きない事から命名された陽明門、左甚五郎作といわれる眠り猫の彫り物など、芸術品を多数抱えているが、誰が奉られているのか知っているだろうか?

東照宮には「東照大権現」となった徳川家康が奉られています。なぜ日光なのかというと、家康の遺言に「日光山に小さな堂を建てて、神としてまつること」と記されていたからです。

もともと神社の名称に「神宮」や「宮」が付くのは、本来、皇室の祖先の神を奉っているところだけだといわれています。

皇室の関係者でもない人物が神様として奉られ、「宮」の名を冠しているのは、日本広しといえども菅原道真の天満宮と徳川家康の東照宮の二つだけである。徳川家康という人物が、いかに偉大だったのかがわかりますね。

ところで、全国には大小130近くの東照宮が存在しています。それは、東照大権現様をお奉りする事によって、地方の大名たちが徳川家への忠誠心を表したかったからだといわれています。

加賀百万石を今の価値にするといくら?

時代劇を見ていると、よく石(こく)という言葉が出てきます。最も有名なのは「加賀百万石」辺りでしょう。しかし、この石という単位が今の価値でどの程度の金額に相当するのかは、あまり知られていません。

石は、人間が1年間に食べる米の量を基準にして設定されたもので、現在の単位に換算すると、約150キロになります。

江戸時代中期、米1石は平均して金1両の価値がありました。つまり百万石=百万両という事になります。

1両が現在の金銭感覚に換算していくらになるのかは、使われていた時代によって4万~20万円と、大きく異なるので一概にいえないが、あえて間をとって1両を10万円とすると、加賀藩の石高は1千億円となります。

ただし、これはあくまでも加賀藩全体の米の生産量です。年貢の比率はやはり年によって異なり、およそ4割といわれている事から、およそ400億円が加賀藩の年収という事になるでしょう。

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