江戸時代にはヒゲの武士がいなかった?刀を二本差している理由とは?

江戸時代にはヒゲの武士がいなかった?


現在に残されている肖像画を見ると、戦国時代は「ヒゲ」を生やした武将が多かった様に見受けられます。確かにヒゲは猛々しく見えるから、戦に明け暮れた戦国時代にはぴったりだったのでしょう。

天下人にまで成り上がった豊臣秀吉は、ヒゲが薄かった為、付けヒゲまでしていたというから、当時の武将たちにとって、ヒゲがいかにシンボル的で大切なものだったのかがわかります。

ところが、江戸時代の肖像画を見ると、ヒゲ面の武士や大名がまったく見当たりません。それはいったいなぜなのでしょうか?

それは、徳川幕府が「武士はヒゲを生やしてはならない」としたからです。これは戦国時代の遺風を嫌ったものと言われていますが、四代将軍徳川家綱は1670年、正式に「大ヒゲ禁止令」という奇妙な通達まで出しています。

しかし、テレビで観る黄門様は立派なヒゲを蓄えています。黄門様は、副将軍だから特別に許されていたのだろうか?

実は、実際の黄門様は、ヒゲを生やしていなかったそうです。

武士が刀を二本差している理由とは?


時代劇などを見ると、武士は二本、刀を差しています。武士を「二本差し」などと呼ぶことからも、武士の特権だった事がわかります。

武士が腰に付けている二本の刀のうち、長い方は「打刀」といい、短い方を「脇差」といいます。打刀は時代劇で見るように「切る」よりも「打ちつける」ように使われ、そして「脇差」は主に接近戦で使われました。

ところが、実は、武士が身につけているのはこの二本だけではありませんでした。もう一本、脇差の下に「小柄」という小さなナイフの様な刀を隠し持っていました。これが最後の命綱になった訳です。

このような武器が実際に頻繁に使われた戦国時代には、刀よりも槍の方が有効な武器だとされていました。長さだけを比べても、刀より槍の方が有利な事がわかります。刀は、何らかの理由で槍を失ってしまった時の補助的な武器だったそうです。

江戸時代になり、実際の戦闘がなくなると、槍は使われなくなりました。その代わりに持ち運びのしやすい刀が、武士のシンボルとして持ち歩かれる様になっていきました。

町火消しの任務とは?

江戸時代にも消火用のポンプがありました。名前は「龍吐水」と随分と猛々しいのですが、その効果は今一つでした。その為、江戸時代の消火活動といえば、もっぱら破壊消火に限られていました。

これは、燃え移りそうな家を粉々に壊してしまうもので、どこまで燃えているのかを屋根の上で知らせていたのが纏持ちでした。

ところで、江戸時代の消防組織は「定火消」「大名火消」「町火消」の三つに分かれていました。元々は「定火消」「大名火消」の二つしかなかったが、目安箱に「町火消」設置の願いが投函され組織されました。隅田川以西の「いろは四七組」(後に本組を加えて四八組)」と本所深川の十六組がありました。

町火消の守備範囲は町人の住む町に限られ、武家地は「定火消」と「大名火消」が担当する様に棲み分けがされていました。しかし、次第に「定火消」が手薄になってきて、江戸時代中期からは、「町火消」が江戸城に入る事もあったそうです。