銭形平次の仕事の内容とは?

銭形平次の仕事の内容とは?

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「ご用だ!」の掛け声とともに、十手1つで悪人に挑み、お縄をかける岡っ引き。時代劇ではよく見られるシーンですが、実際にはこの様な事はなかったそうです。

岡っ引きを抱えていたのは、町奉行や火付盗賊改の与力や同心。実は岡っ引きの多くは、仲間から犯罪情報を聞き出し、命令されれば命懸けで危険な現場へ飛び込む過酷な職業でした。しかも、手柄を立てても、それはすべて同心のものになってしまいました。

時代劇で見るような、犯人を逮捕する権利もなく、同心と一緒か、逮捕令状を持っていない限り、十手や捕り縄も使えなかったそうです。しかも、この岡っ引きという職業は、無給だったのです。

しかし、それでも「岡っ引きになりたい」という者は後を絶たなかったそうです。それは十手を持てるからです。十手を持つと周囲に顔が利き、博打や芝居興行などをお目こぼしをしてもらえたのです。

ちなみに、旗本には岡っ引きとその子分を合わせて、およそ5百人はいたと資料に残されています。

大奥とはどういう所なのでしょう?

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大奥とは、江戸城内にあり、将軍と将軍の正室(正妻)である御台所、側室、そして女中たちが生活している男子禁制のエリアでした。

ただし男子禁制といっても、御典医と節分の豆まき役(年に一度だけ)は入る事ができたそうです。

周囲を塀で囲まれた大奥は、三つのエリアに分けられていました。一つ目のエリアは「御殿向(ごてんむき)」といって、将軍の家族が住んでいるところでした。もちろん調度品は豪華絢爛で、贅の限りが尽くされていました。

二つ目のエリアは、「お局向(おつぼねむき)」といわれ、将軍お気に入りの側室が住んでいたところです。今でいうところの4D(家事はしないので、キッチンはない)の間取りで、もちろんバス、トイレ付きです。

そして3つ目のエリアが「お半下部屋」。ここは新入りなどの位の低い側室の住居で、相部屋となっていました。ちなみに、三代将軍家光の頃には、大奥で約3千名もの美女が暮らしていたといいます。

「銀座」があるから「金座」も存在していたの?

銀座という地名は、江戸幕府が銀貨鋳造所を置いた事に由来している。元々銀座は今の静岡市にあったのだが、1612年に、現在の銀座に移転されました。

銀座の「座」は、お金やはかりなど、特別に許可された金品を製造する事が許された特別の地域の事を指します。銀座の他にも金座(小判をはじめとする金貨や分銅の製造)や枡座、秤座などがありました。

そうです、金座という場所も、江戸時代までは確かに存在してました。どこにあったかというと、現在、日本銀行が建っている所です。

ちなみに、日本銀行の金庫に隠されている金の量は7百トン近いとか。金座の歴史は現在もしっかりと守られています。

ところで、「銀座」は、1800年に現在の日本橋に移転しました。つまり、銀座から「銀座」がなくなってしまったという事です。現在の銀座が銀座と呼ばれる様になったのは、江戸幕府が崩壊して、銀座が廃止になった後の明治2年のことでした。

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