ドラキュラは実在したのだろうか?
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吸血鬼伝説がヨーロッパ各国に広まったのは、17世紀に入ってからです。発信地は現在のロシア周辺といわれています。
吸血鬼=ドラキュラとなったのは、ブラム・ストーカーというアイルランドの作家が、1897年に「吸血鬼ドラキュラ」を発表してからの事です。
そのモデルになったのは、15世紀にルーマニアに実在したヴラド公爵でした。彼はやたらに領民を殺害して、時にその死体を野ざらしにした為、串刺し公と呼ばれていました。
そのヴラド公爵の胸にいつも付けられていたのが、悪魔(ドラクル)のワッペンでした。これが、ヴラド公爵がドラキュラと呼ばれる様になった理由です。あまりにも傍若無人な行いを続けた為、後にヴラド公爵は農民たちの反乱により殺害されてしまいました。
この事件と小説、そしてロシアに伝わる伝説が混ざり合い、現在のドラキュラ伝説を作りあげたのです。
シンデレラの本名はエラだった?
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誰もが知っている「シンデレラ」の物語ですが、しかし、シンデレラという名は彼女の本名ではありません。実は意地悪な継母が付けたあだ名で、本名はエラという名前でした。
エラは毎日毎日家の雑用に追われ、意地悪な姉たちが寝静まった後に、ようやく台所の暖炉のそばで休む事ができました。灰まみれになってグッタリしているエラを見て、継母はこう言いました。
「いつも灰まみれになってそこに座っているお前には、エラ(Ella)よりもシンデレラ(Cinder-Ella)という名前の方がお似合いだよ」
Cinderとは灰の事。つまりシンデレラとは、「灰まみれのエラ」ということなのです。とても良い響きに聞こえるシンデレラという言葉だが、実際には悲しい名前なのです。
ところで、シンデレラという物語のルーツが、中国にあるといわれているのをご存知でしょうか?「イエシェン」という物語だが、これがシンデレラそっくりなのです。そういえば、物語のシンデレラの足は小さかった。もしかすると、中国の纏足(てんそく)の風習から来ているのかもしれません。
初めて日本でラーメンを食べたのは水戸黄門様だったの?
「水戸黄門」で有名な徳川光圀。そんな彼が日本人で初めてラーメンを食べた人物だと言われています。それは本当のことなのでしょうか?そして、当時のラーメンとはどのようなものだったのでしょうか?
明に生まれた儒学者、朱舜水は1665年に徳川光圀に招聘されて、江戸に赴いています。その際に、朱舜水が光圀に中国の汁麺を献上したという記録自体はないものの、舜水の所持品リストには中華麺を作る時のものが含まれていたことから、実際に作って光圀に食べさせたということは間違いないと言います。
これが日本人が初めて食べた「ラーメン(中華麺)」ということになります。
1697年には光圀が隠居していた西山荘を訪れた僧や家臣らにこの中華麺が振舞われたという記録もあります。ちなみに日本の歴史上、光圀が最初に食べたとされるものは他にもあり、餃子、チーズ、牛乳酒、黒豆納豆などがあります。餃子も朱舜水に教わったと言われています。
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